2014年12月30日火曜日

振り返ってみて diary377

今年1年を振り返ってみて。

年度始まる前の3月にH25年度担当した現場の評価から技術者表彰をいただき、幸先良いスタートを切ることが出来ました。

今年は昨年と違い、雨が少なく現場の進み具合も順調だったのであっという間に終わった感じです。
工事評価点はまだ出てきませんが、去年同様に表彰されるような評価点を期待したいと思います。

プライベート的には、昔から好きなアーティストのライブに行けて年末を締めくくったこと。
あと人の集まりも大切だなぁと。

仕事もプライベートも一人じゃ何もできない。仲間が必要なんだと。。。

これからも仲間を大切にしていこうと。


あと最後に言えなかったのが、心残りかな(笑)

やすみ会 diary376

いろいろな集まりがあり集まる人によって会話の内容も違いますよね。

「やすみ会」

初の開催は、東日本大震災の年だったのかなあ。

あれから約3年。

休みという意味でやすみ会なのか。

自分のTwitterアカウント名がヤスミーなのでやすみ会なのか。

網走刑務所から仮出所?ということで2014年忘年会を開催していただきました!!

本会場前に準備運動と軽く茅場町のニューカヤバへ。


ニューカヤバ入口提灯
このお店は、JRAの撮影でキムタクが来たお店です。


1杯100円(日本酒・焼酎)
有名な立ち飲み屋で、1杯100円で飲むことが出来ます。

1杯100円(ウィスキー)
 お店に入って左奥には、焼き鳥を焼き台がありセルフで焼き鳥を焼きます。


もちろん、他のお客さんもいらっしゃるので独占なんて出来ません。
場合によっては、代わりに焼いてあげるんです。
もうその時には呑み仲間!

場所はここ。

コンディション調整が整ったので、本会場へ。
川口商店
ここのお店は、日本酒専門のお店で1階は立ち飲みバー。
2階は宴会の出来るスペースとなっていました。
各地の日本酒を取り扱っていて、どれも旨かった。



http://anago-tamai.com/sakebar/


個人個人バラバラの会社で普段会うことがないのですが、フェイスブックで繋がっていると遠いようで近くにいるように感じるんです。

次回、この会に参加できるのはいつかな?

2014年12月29日月曜日

霊岸島水位観測所 diary375

山の高さや土地の高さなど「標高◯◯m」と表示されていたり聞いたりすると思います。
自分の住んでいる街は、平均標高44mくらいかな。

この標高のベースはどこだ?と聞くと、東京湾の平均海面を基準0にしています。
ここまではわかりますよね。

その基準は東京湾のどこ??ということで、行ってみました。
場所は、東京都中央区新川2-31
霊岸島水位観測所








建設省関東地方建設局荒川下流工事事務所よりコピペ

【日本の近代測量と霊岸島水位観測所について】

日本の近代測量は明治初期に始まりました。
当時の測量方法は主要河川の河口部に水位を測るための「量水標」を設け測量を行うときには近くの「量水標」の平均海面データを用いていました。
「量水標」の主なものは、明治5年(1872年)に利根川河口の「銚子量水標」が日本初で、翌明治6年(1873年)にここ霊岸島に、明治7年(1874年)に江戸川と淀川の河口にと、全国の主要河川でそれぞれ設置されました。
霊岸島水位観測所の零位は、A.P.0m(エーピーゼロ、A.P.はArakawa Peilの略、Peilはオランダ語で「基準」あるいは「標準」の意)と呼ばれるようになりました。
その後、測量技術などの進歩に伴い、平均海面のデータの全国統一が考えられ、そのとき選ばれたのがここ霊岸島水位観測所だったのです。

【東京湾平均海面と日本水準原点 】

平均海面を算出するために霊岸島水位観測所で明治6年(1873年)6月から明治12年(1879年)12月の間、4ヶ月間の欠測を除き6年3ヶ月の毎日の満潮位と干潮位を測定しその平均値を求め、さらにその平均値を算出したのです。
そのときの値が霊岸島水位標の読み値で1.1344mでした。これを東京湾平均海面すなわちT.P.0mとし全国の高さの基準として定めたのです。
そしてその後の明治24年(1891年)5月に東京都千代田区永田町に「日本水準原点」が設置され、このとき霊岸島水位観測所から原点までの水準測量を行い、日本水準原点の高さ24.5000mを基準点としたのです。
しかしこの値は、大正12年(1923年)に起きた関東大震災の影響により昭和3年(1928年)に24.4140mに改訂され現在に至っています。


【現在の霊岸島水位観測所】

日本の水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、その後の東京湾の埋立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施行に伴い平成6年(1994年)5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。

元の観測所の位置には、その歴史的経緯を長く後世に伝えるため、観測柱を正面にシンボル柱として設置しました。また、新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0mを指し、その一辺の長さは観測所位置のある東経139°47’にちなみ13.947mとしています。
観測室については、斜方十二面体という形で立方体それぞれの面に勾配45°の四角錐を付加したような形をしていて、川に沿って視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見えるものです。



元標 diary374

東京には、日本の起点になるものがあります。(土木的なもの)

そのうちの一つが、日本国道路元標。
その場所は日本橋。
日本橋

調べてみると、日本橋は1603年に架けられ翌年に五街道の制が確立され日本の中心になったようです。
明治時代には、この橋の中央が国内諸街道の起点と定められました。

どこに日本国道路元標があるのか探してみると。

左手前が元標(複製)右奥は旧東京市道路元標

歩道に、しかしよく見ると複製?
うん??本物はどこ?
やっぱり道路センターでしょー!

元標(本物)

ありました!
車両が右から左からと行き来する中、撮って来ました。
(飲み会後の酔っ払い状態で自殺行為ですねσ(^_^;))

2014年12月24日水曜日

再開発 diary373

日曜日からプライベートで首都圏へ遊びに行ってきました。
中一日、自由な時間があったので建ブロで知り合った友達さん達と約3年ぶりの再会。

とその前に、せっかくだから土木的な構造物とか少し見学してみようと言う事で、御徒町駅のJR高架下の再開発「2K540 AKI-OKA」を探索してみました。

2K540は、場所が東京駅から2km540m付近にある。またAKI-OKAは、秋葉原駅と御徒町駅の中間位置にあるそうです。




普通、JR高架下は倉庫や駐車場に使うのが当たり前ですが暗いイメージを変えて、中に入るとこんな感じで、JR高架下の灰色コンクリートが白一色の別世界です。

もともと御徒町周辺は、江戸時代からの伝統工芸職人の町らしく中に入っているショップはどれも職人・クリエーターの店ばかりです。

もう一件は、旧万世橋駅高架下の「mAAchマーチエキュート」


当時のレンガでそのまま残っています。

中は、AKI-OKAのように素敵お店ばかりでワクワクです。
天井のアーチも当時のままで良い感じです。



展望階にはカフェもあり夜は綺麗でしょうね。

今度は誰かと一緒に来てみたいです(笑)








2014年12月16日火曜日

荒れ予報 diary372

今夜から明日・明後日に掛けて、天気が大荒れになる予報。












自分が住んでいる地域の明日の予報は、こんな感じです。


外出はなるべく避けた方が良いかと思います。

2014年12月9日火曜日

The old bird who is a young girl diary371

最近、自分では似合わないことをすることがマイブームなんです。
よく行くカフェは、地域のコミュニティー活動を行い交流を深めることができる場をコンセプトにしたお店です。

そのカフェで先日、お子様アクセサリー教室が開かれていて、終了間際に店員の友達さんから「ネックレス・ストラップ作りません?」とお誘いを受けたので参加してみました。(半ば強引ですがw)

嫌いではないんですよ。こういうの。
シンプルなものにしてみようと。
細かい作業に太い指では、ぎこちないのですがストラップを作ってみました。(お子様教室だから出来て当たり前ですよね)


モノを作る楽しさ・達成感が良いでしょうね。
現場でモノを作っていくのと同じかな。

最近、友達から言わすと乙女なおっさんらしいです(笑)

2014年12月8日月曜日

冬道 diary370

北海道でも西側の方面は、積雪になっていますが、大雪山を境い目に東側は、雪が積もるほど降ってない状態。

昨日はサラッと雪が積もりました。

雪が降り気温が低かったので、路面がアイスバーンに。
あちらこちらでクルマの事故が起きたようです。

冬道運転に慣れるまでは、自分もですが他の人もそうなので、気をつけて運転したいと思います。